福野夜高祭についてインタビュー!

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みなさま、こんにちわ。ちゃんけいです。ブログ更新全然できておらず、大変すみません。しっかり継続できるよう頑張ります。

さて、今回のテーマは富山県南砺市福野で毎年行われています、福野夜高祭についての記事を書いていきたいと思います。今回、たまたま機会があり、祭り関係者にお話を伺うことができました。ですので、この記事ではお伺いしたことをまとめていきたいと思います。

歴史

 この祭りは1652年に始まった。福野の町自体ができたのはその2年前の1650年である。

・なぜその祭りがはじまったのか。
 1650年、町ができたときは家が10軒くらいしかない。だがその2年後には60、70軒くらいまで増えた。そのとき、町で大火事が起きた。当時は全て木造建築であり、70軒ほどの家はことごとく燃えてしまった。当時は消防車等もなく、昔の人は神様に縋るしかなかった。そのため、三重の伊勢神宮に御分霊をいただくことになった。そして町の代表者数人で何日間もかけて、徒歩で三重まで行った。
 そして御分霊をいただき、帰路の倶利伽羅峠(石川と富山の県境)までたどり着いた日の夕方に、福野の町民は代表者たちが倶利伽羅峠まで戻ってきたことを知る。日が暮れて真っ暗(当時は街灯などない)であったため、福野の人は手に持てるサイズの行燈を持って、倶利伽羅峠まで迎えに行った。これが福野夜高祭の始まりである。

・なぜ現在まで継承できているのか。
 それは、福野は昔、織物によるとても栄えた町であった。お金もあり人も多かった。関係者は祭りの存続には3つの要素が必要であると考えている。
 まず1つ目は福野町という町自体が存在すること。ただの田んぼだけの場所から祭りは発生しない。2つ目はそこに人が存在すること。3つ目は、お金が必要であること。
 昔はこの3つの要素を福野町は満たしていた。そのため昔はずっと続けられていた。今は、これらの要素は少しはある。でも今、織物は廃れている。そのため、今は祭りを続けているが、続けることは実際には昔と比べると簡単ではない。しかし、今なぜ続けられているかというと、今現時点で祭りが存在しているから、だと関係者は言う。関係者の祖父、曾祖父が続けていて、先代がやってきたことを今途絶えさせてしまっていいのか、という責任感もあるという。

見どころ

まず、祭りは5月1日、2日に行われる。祭りの終盤5月2日の深夜に行われる、引き合いは見どころに一つである。YouTubeで福野夜高祭を検索して出てくるほとんどの動画はこの引き合いに関する動画である。

上記の動画は祭りの雰囲気を少しでも味わうことができるのでおすすめである。

現状の課題

・最初に言った三つの要素がなくなってしまうかもしれない。
・町がなくなる可能性は低いが、お金と人がこれから衰退していく恐れがある。
・また、行燈には、作り方の説明書などない。だから、人から人に口で伝えていくしかない。今現時点で373年分の歴史が口で伝えて繋がれている。現世代も、未来の世代の人たちにその歴史を口で伝えていく必要がある。人がいなけりゃそもそも話にならない。だから、「存続」が最も難しい課題である。

課題の解決策

その三つの要素を一気に満たす解決策とは、そこの福野町に若者が住むことである。福野町に住めば、福野町のお金が増え、福野町の人が増えることになる。当然町も存続できる。特に若い人が好ましい。祭りの主体は若い人であるから、若い人が増えてほしい。そのためには、若者がもっと祭りに興味を持ってもらう必要がある。

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